酉の市は、11月の酉の日(十二支の日)に、関東一円で行われる、開運や商売繁盛を願うお祭りです。
江戸時代から続くこの年中行事は、芭蕉の弟子・其角が「春を待つ 事のはじめや 酉の市」と詠んだように、新年を迎える最初の祭りとされました。
当時は「とりのまち」とも呼ばれ、11月の最初の酉の日(いちのとり)が一般に大切にされていました。
酉の日は12日に1度巡ってくるので、2回行う年もあれば、3回行う年もあり、現在でも「三の酉」までの数年間は火事が多いと言われています。
酉の市のはじまり:鷲大明神
酉の市の始まりは、江戸近郊の花又村(現在の足立区花畑の大鷲神社)と言われています。
当初は、近隣の農民が町の守り神である「鷲大明神」に感謝するための収穫祭でした。
祭りの当日、氏子は鷲大明神に鶏を奉納し、祭りが終わると集まった鶏は浅草の浅草寺に運ばれ、観音堂の前に放たれたという。
当初は武士の参拝が多かったが、やがて江戸中の町民が参拝するようになりました。
年末には神社の前で賭博をする人々で賑わったが、安永年間(1615-1704)の賭博禁止令により、神社は浅草に繁栄を移さざるを得なくなりました。
当時、花又村は「本の酉」、千住の勝専寺(赤門寺)は「中の酉」、浅草の鷲大明神は「新の酉」と呼ばれ、鷲羽太明神は「神の鳥居」と呼ばれた。
新吉原の東にあった浅草の長國寺は、1771年に酉の町として有名になりました。
浅草酉の市のはじまり
浅草酉の市は、「鷲妙見大菩薩」が開かれた日に、長國寺の門前で行われた市が始まりです。
酉の寺である長國寺が創建された1630年以来、総本山鷲山寺(天恩寺-千葉県茂原市)の鎮守である鷲妙見大菩薩の開帳は、11月の酉の日に行われるようになりました。
1771年、長國寺13代目住職の日玄は、千葉の鷲山寺から浅草の長國寺に移させた。
江戸時代中期以降、花又の賭博禁止令や東に新吉原があったことから、浅草の酉の市は花又村の酉の市より賑わうようになりました。
大小の金貨やおかめ面を飾った「縁起熊手」は、次第に大型化、豪華化し、富と幸運をもたらすものとしてますます好まれるようになりました。
また、吉原などでは客寄せの縁起物として「かんざし」が流行し、さまざまなデザインが作られました。
商人文化が栄えた江戸時代には、酉の市の繁栄が文学や芸術の題材として盛んに取り上げられました。
2022年以降の酉の市
2022年以降の酉の市の日程です。
年 | 一の酉 | 二の酉 | 三の酉 |
2022年(令和4年) | 4日 | 16日 | 28日 |
2023年(令和5年) | 11日 | 23日 | |
2024年(令和6年) | 5日 | 17日 | 29日 |
2025年(令和7年) | 12日 | 24日 | |
2026年(令和8年) | 7日 | 19日 | |
2027年(令和9年) | 2日 | 14日 | 26日 |