こんにちは、台東区の訪問診療クリニックの「まるクリニック」です。
今回は台東区の地理についての記事です。台東区には大きな川が流れてます。
- 隅田川
- 神田川
どんなところなのでしょうか。
台東区-隅田川の歴史
隅田川ウォークや隅田川テラスをご覧いただくとわかりますが、川の周辺はとても美しくメンテナンスされています。
隅田川は、市民や 旅行者の憩いの場として、実によく利用されているのです。まず、隅田川がどのような川であるかを知っておきましょう。
隅田川は、北区の岩淵水門を起点に
- 北区
- 足立区
- 荒川区
- 墨田区
- 台東区
- 中央区
- 江東区
を南北に流れる荒川水系の一級河川です。東京都が管理しており河川の管理は、河川法という法律で規定されています。一般に、一級河川の管理は国土交通省が担当しています。
江戸時代、隅田川は秩父で切り出された木材の輸送をはじめ、江戸城建設を支える重要な水運の拠点として機能していました。
川岸には倉庫が立ち並び、輸送された物資を保管・補給し、江戸市民の生活と経済を支えていました。蔵前もそのような場所であったに違いありません。
隅田川は交通インフラとして重要な役割を果たす一方、舟遊びや花火など庶民のレジャーの場としても親しまれました。
両国橋周辺や浅草は江戸の中心地であり、大変な賑わいであったと思われます。隅田川周辺は、1950年代半ばまで繁栄を続けていたのですが、高度経済成長は隅田川に変化をもたらしました。
高度経済成長による変化
首都圏の道路網が整備され、隅田川の流通機能は自動車輸送にシフトしていきました。さらに、工場排水や生活排水が隅田川に流れ込むようになり、水質が急速に悪化しました。
悪臭は人々を隅田川から遠ざけるだけでなく、川を渡る電車さえも悪臭を放つと言われるほどだったといいます。
洪水を防ぐために作られたコンクリート製の堤防は無機質で、さらに住民を川から遠ざけました。数年後、下水道が整備され、川の水質が改善されたのです。
さらに、堤防技術が発達し、スーパー堤防や隅田川段丘ができ、隅田川に人が戻ってくるようになりました。
そして現在の隅田川となっています。
台東区-神田川の歴史
神田川は、民謡(南こうせつ、かぐや姫)で歌われる身近な川の一つで、井の頭公園に源を発し、隅田川に注ぐ全長25km弱の一級河川です。
東京都内最大の中小河川で、都心を流れるにもかかわらず、全区間が開通しているのは極めて珍しい川です。
かつては平川と呼ばれ、今の飯田橋付近から今の日本橋川を経て日比谷入江に流れていましたが、江戸幕府が福神流、瀬替えを繰り返し、その結果現在のようになったのだそうです。
江戸市中の水道が復旧すると、上流部を神田上水、下流部を江戸川と呼び、下流部は開削されました。
神田山にちなんで神田川と呼ばれるようになったそうです。明治時代に神田上水が撤廃されると、上流も神田川と呼ばれるようになり、昭和の河川法改正で神田川(kandagawa)という名称が採用されました。
浄水整備と改修
神田川の旧称である平川は、高原ハケの湧水や雨水をたくさん溜め、豊島郡と荏原郡の境界線を形成する大河でしたが、江戸城築城のために重大だったのは、江戸城の飲み水および武蔵野台地の洪水を防止することでした。
江戸名所図会(1836年)に描かれた神田上水の「目白下大洗堰」(現在の文京区関口・大滝橋付近)は、潮の流れによって海水が平川を遡り現在の江戸川橋付近まで上昇し、海岸の井戸もかん水で汚染され飲料水に適さない状態になっていたのです。
そこで、江戸市中の飲料水を確保するため、平川を建設したのが始まりです。
名所-柳橋
柳橋は、東京都台東区と中央区の間を流れる神田川の河口、隅田川に合流する手前にあります。
隅田川には、現在の両国橋と同じく、関東大震災の復興事業として1929年12月に架けられた美しい形の鉄橋「両国橋」(東京都指定歴史的建造物)が架かっています。
最初の橋は1698年に架けられ、神田川が大川(隅田川)に流れ込む河口にあったことから「川口出口之橋」と呼ばれるようになりました。
あるいは近くに幕府の矢倉があったことから「矢倉橋」「矢倉の橋」と呼ばれるようになったと言われています(柳橋の名は、柳原堤の末尾にある「堤(やじょう)」の「柳」の字に由来するとの説もある)。
また、吉原への旅客を運ぶ「猪牙舟」の発着場でもあり、多くの人々で賑わったそうです。
1928年当時は東京の花街の一つで、62軒の料理屋と366人の芸者がいました。島崎藤村(しまざきとうそん)など、多くの文人墨客が訪れました。
川岸には屋形船が並び、優雅な時代を偲ばせましたが、1999年1月、柳橋芸妓組合が解散し、江戸時代からの伝統と格式を誇った花柳界の歴史に幕を下ろしました。
台東区は東京23区の中でも古い歴史のある街です。訪問診療クリニックとして、地域に暮らす方が安心した生活ができるように務めていきます。