台東区の日本堤(にほんづつみ)はどんなところ?

こんにちは、台東区で訪問診療をしている「まるクリニック」です。

今回は当クリニックがある「日本堤」についてです。

読み方は「日本堤:ほんづつみ」で、にほん”つつみ”ではありません。日本堤は、東京都台東区の町名です。

現在の行政地名は日本堤一丁目、日本堤二丁目で、郵便番号は111-0021となっています。

目次

台東区の日本堤(にほんづつみ)はどんなところ?

台東区の北部に位置し、町の東側は台東区清川に接します。町の南側は日の出通りに面しており、台東区東浅草に接しています。

西側は土手通り、台東区千束、台東区竜泉、台東区三ノ輪一丁目に接します。

町の北側は明治通りに面し、それぞれ荒川区南千住、台東区三ノ輪二丁目と接しています。

商店、企業、住宅が混在するほか、町の東部には大阪市の釜ヶ崎、横浜市の寿町と並ぶ日本三大人足寄場の一つ「山谷」があり、日雇い労働者の簡易宿泊所(通称「ドヤ」)が多く、2008年12月末時点で53軒がありました。

通りの北東端には、立橋交差点があります。日本堤1丁目の中央には、いろは会商店街が東西に延びています。

この商店街は、立橋付近を舞台とした漫画『あしたのジョー』の町おこしの一環で、かつては皮革工場が多かったが、移転や廃業したところも多くみられます。

台東区日本堤の地理

かつてこの地は入間川(現在の隅田川)の氾濫原にあり、石浜(現在の石浜神社付近)から馬渡山(現在の舞鶴山龍院付近)、浅草(現在の浅草寺付近)、鳥越岡(現在の鳥越神社付近)にかけて高台からなる自然の堤防の背後に広大な後背地が存在しました。

この湿地帯は忍ヶ丘(上野山の古名)の麓まで続いていたが、度重なる洪水で容易に上陸できず、当時の絵地図には洗足池や姫の池として見ることができます。

江戸の町は常に洪水の危険にさらされていたが、1621年、江戸幕府は浅草の商店街にある今戸橋(待乳山聖天付近)から北西方向の箕輪乗願寺まで、荒川などの治水工事の土で堤防を築きました。

全国から集まった大名が60日余りで完成させたことから、日本の堤防と言われているが、記録はなく、確証はありません。

また、土手が2つあることから「二本堤」と呼ばれたという説もありますが、これも所在が不明です。

この土手の北側には山谷堀があり、石神井用水路から分岐した音無川など上流への排水路として機能していました。

土手は周囲を見渡せる道路(6町ほどあったので土手八丁と呼ばれた)として利用されていました。

明明の大火の後、人形町から土手の南側に遊郭が移転して吉原となり、「吉原土手」「かよわせ土手八丁」と呼ばれて、遊びに行く江戸っ子で賑わったといいます。

関東大震災から4年後の1927年、日本堤は取り壊され、現在、その面影は土手通りとして残されています。

日本堤の人口と世帯数

2020年度の日本堤の人口統計です。

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丁目世帯数人口
日本堤1丁目2,078世帯2,842人
日本堤2丁目2,245世帯3,348人
合計4,323世帯6,190人

台東区エリアは4人に1人が高齢者であり、医療資源としては足りていない状態です。

まるクリニックは、台東区で気軽に相談出来る訪問診療クリニックを目指しています。

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